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【インタビュー】おやこの森 小澤のり子

延岡子育て支援センター『おやこの森』の主任として沢山の親子に寄り添っていらっしゃる小澤のり子さんに話を伺いました。

 

 

まず、小澤さんの経歴を聞かせて下さい。

 

小澤:7~8年保育士をしていました。その時、乳児保育と障がい児保育に携わらせて頂きました。その園が乳児保育を開始したばかりの年に就職し、すごく信頼できる方に出会えたことがきっかけで、保育の勉強をいっぱいさせて頂きました。

これまで魅力的な方々と出逢い、温かく見守り関わって下さった方のお陰で、今の経歴に繋がっていると思います。

 

 

―信頼できる方との出会いがあったとおっしゃられましたが、その方の子どもへの関わり方など、何を見ていいなと思われたのか、印象に残っていることがあれば教えて下さい。

 

小澤:一人一人に寄り添った保育をされる先生でした。

私はまだ大学を卒業したばかりで、実習はしていても未熟で、現場に入ると赤ちゃんの目線は分からない部分が多かったです。

その方は以前アメリカで生活されていたので、その辺りは鋭く勉強されている方でした。

ある時、いきなり家から沢山のスカーフを持って来て、「天井からぶら下げよう」と言うんです。「赤ちゃんが寝ていると、スカーフがそれぞれ布の重さだったり、質感だったり、布の動きが楽しいのよ」と。

そして私に、「のり子先生も寝てごらん。そしたら自分も楽しいでしょう」と言って、いつも何気なく教えて下さっていました。

スタッフがワクワクするような保育で、こうでなければならないという固定概念が崩され、いつもお子さんの目線で保育することを教えて頂きました。

 

 

―おやこの森で働くことになったきっかけは何ですか?

 

小澤:保育士7年目で、子どもが欲しいからと、仕事を辞めたいと園長先生にお伝えして、それから専業主婦でした。

子ども達が4歳になる年に、延岡市の子育て支援を取り組まれている保育園協議会の役員の先生方から、「今から延岡で子育て支援を始めるので、一緒にやろう」と声をかけて頂いたのがきっかけです。

 

 

―主婦をされていて、声をかけて頂いた時は、すぐに「やります!」という感じだったのでしょうか?

 

小澤:いいえ、悩みました。

我が子は、医大に通院することもあり、「この仕事を受けても大丈夫なのか?」と思った時に先生方が「私達が家族を支援します」と心強い言葉で答えて下さいました。家族でいる時間を大切にしたいという気持ちをしっかりと受け止めて下さいました。

また、私の父親が他界する前に、調子が悪いのにいきなりむっくり起き上がって、「お前は人のためになる仕事をしないといけない」ということと、「三つ子を産んでくれてありがとう」と言って亡くなっていったんですよね。

その1か月後に、ここの言葉を頂きました。主人と相談をしてこの仕事を受けることにしました。

 

 

―すごいお話ばかりで…。お子様は三つ子でいらっしゃるんですね。

 

小澤:はい、男の子3人です。

家族や親せき友人、医療関係の方々、職場の方々、本当に沢山の方が妊娠から現在もですが…家族を温かく応援して頂いています。

20年近くここのお仕事をしているけど、毎日が新鮮です。

 

 

―どうしよう?とか悩むことはないですか?

 

小澤:一緒に考えて下さる仲間(勝手に私が思っています)がいて下さるので心強いです。皆さんに助けて頂かないと一人では何も出来ません。

 

 

―元々、スタート時はこの建物ではなかったのでしょうか?

 

小澤:そうです。

今、イオンがあるところに、昔、旭化成サービスがあったんです。おやこの森を使う前に、理事長の木本先生方が旭化成サービスの代表の方に話に行き、そこで子育て相談を受けたのが始まりの様です。

相談だけでは終わらないということにも気づき始めて、社会福祉協議会の別館も使わせて頂き、各保育園の先生方が順番で子育て相談を行っていました。

 

 

―休日診療みたいな感じでしょうか?

 

小澤:持ち回りで。

社会福祉協議会の1階でお年寄りの介護用品のレンタルをしていたので、それを受けて2階では頂いたベビー用品の貸出をしながら相談を受けていたみたいです。ここが建つまでの間、私もそこで経験させて頂きました。歴史が深いです。

この建物がある場所は、元々児童館だったのですが、旭小学校の側に移りました。保育園の園長先生方が「何か使わないともったいない」と言って保育会館にして、私が担当になりました。

私が一人の時に、「ここは空き家になっているけど、ここの人ですか?ここは今から何をするのですか?」と言って、一人のお母さんが子どもを連れて上がって来たんです。お母さんは裏山をぼーっと眺めていて、「特別、子どもに何か保育をするとかじゃなくて、私のそばにいて、子どもを一緒に見守ってもらえればいいんです」と言われました。

その時に、これでいいんだろうかと思っていたら、相談を始められて、大家族の中に嫁いで来られて、すごくつらい思いをしていることを泣きながら話されました。

子育て支援は、何かをしなければならないのではなくて、寄り添う場所なのだということを、そのお母さんに教えて頂きました。すると、ぽつりぽつり口コミで、来訪者が増えてきました。

自分で考えて工夫するようにしたくて、遊具は置かないと決めていたので、児童館の時にあった鉄棒などは全部撤去させて頂きました。

お湯が無いので、泥んこ遊びの時は、水を入れたペットボトルをベランダに並べ、お日さまで温めて、それで体を洗い流して帰っていました。ここでご飯を作ると、かまどを持ってきたり、火おこしを教えて下さるお母さんがいたり、助け合いがどんどん生まれてきて、キャンプしている感じでした。

ここで教えて頂いたことを家庭に持ち帰り、学びの場でもあって本当に楽しかったです。

私一人だったので、職員とお母さん方の助け合いも出来てきました。

 

 

―最初、お一人だったのですね。

 

小澤:そうです。最初は私一人だったので、法人保育園の先生方が色々考えて下さったり、心配して声かけに来て下さったり、協力して頂き、それが強みだったと思います。

この場所を大事にして頂いて、今もですけど、本当に守って下さっていると思います。

「手伝うよ」というお母さんも増えてきて、一人から始まって今は約200人のサポートさん、スタッフさん、ボランティアさんがいます。それぞれ出来ることをやって下さっていて、1年間ボランティアをして下さる方、保育士の資格を取得するために勉強されている方もいます。

こうして、みんなで助け合ってやっているのが、おやこの森です。

そうしていたら保育園の先生方が、「古い建物で老朽化しているので、国からの少子化特例交付金を延岡市の法人立保育園で出資して建て替えよう」と言って下さいました。

 

 

―1年くらいは古い建物でやられていたのでしょうか?

 

小澤:平成11年4月から6月までの2か月は古い建物でした。

11月くらいから工事など色々始まって、平成12年4月にオープンしました。

それまでは電話もなくて公衆電話にかけに行っている状態で、本当に不便でした。でも、その不便さがどんどん楽しくなっていくんですよ(笑)。不便だから人との関りも強くなっていき面白かったです。

新しくこの建物が建ってから、病後児保育など様々な事業を展開していくようになり、職員も増やしていきました。

 

 

―子育て支援センターという言葉や概念は当時あったのでしょうか?

 

小澤:このピンクのお便り(毎月、延岡市保育協議会で編集・発行されている『子育て通信』)を作ったのが平成6年ぐらいで、その頃から概念はあったと思います。

法人立保育園協議会役員の先生方が、保育園に行かれているお子さん方は守られているのですが、保育園に預けられない子どもたちにも支援する必要があるということを先駆的に感じられて、必死に動かれました。

 

 

―家庭にいらっしゃる方たちの応援もする必要があるということですね。

 

小澤:はい。全国的に延岡は早かったみたいです。

この先生たちの考え方が今にも繋がっているのですが、素晴らしかったと思います。

 

 

―おやこの森は今の建物が出来たあとはどうなっていったのでしょうか?

 

小澤:最初は子育て支援センターの事業だけだったのですが、病後児保育やボランティア育成講座等しているうちに、行政の方々も応援して下さる様になり、今はこんなに沢山の事業になりました。

 

 

―社会福祉法人とは、どのようにお金が回っているのか分からない方も多いと思います。税金で運用されているのでしょうか?

 

小澤:最初は、理事長の保育園の法人が協力して下さっていた様です。

それからNPO、現在は社会福祉法人すこやか福祉会になりました。普通は保育園の組織の中に入っている支援センターが多いですが、単独で社会福祉法人を持っている支援センターです。

運営は市の委託事業で、例えば、建物を緊急に修理等が必要な場合、貯蓄が無いので本当に困ります。

みなさん一生懸命やって下さっているので、もうちょっと上手く人件費に充てられるといいんですけどね。

 

 

―色々な事業をされながら、他にもイベントやサークルなどもありますが、イベントはお母さんたちの声から始まったのでしょうか?

 

小澤:こちらの方からお声がけすることもあるのですが、大概市民の方から、「ここで何かをさせて下さい」と来られる方が多いです。長い方は、18年続けて下さっている方もいらっしゃいます。

絵本講座と親子ビクス、ベビービクス、子育て講座、この辺りは17年くらいずっと来て下さっています。

平成14年くらいのサークルが盛んな時には、お母さん方がリーダーの子育てサークルで、親子リズム、双子の会、くじらっこサークル、わいわいサークル、ブックフレンド、なないろサークルなど、色々なサークルがありました。山間部に行って、畑で過ごしている親子の前でパネルシアターや絵本の読み聞かせをしていたら楽しくて、市内の公園や地域を訪問して、覚えて下さる方も(笑)。

 

 

島浦のお店をリフォームして、私たちを受け入れる場所づくりをして下さったサークルもあります。

よくリーダーさんたちで集まって、「どのように地域、地域で活動していくか」という話し合いもしていたのですが、どうしてもサークルに来られない方たちがいて、そのあたりにも目を向ける必要があると感じてきました。

相談に来られる方たちの内容も深いものになってきて、これが、現在『当事者の会』になっています。最初の当事者の会は、平成13年にできた『ふたごの会』です。

今は増えてきて、『アレルギーで悩んでいる人たちの会』、『発達のことで悩んでいる人の会』、『メンタルの会』など、7つぐらいあります。サークルはサークルでいいのですが、どうしても入れない人もいらっしゃるので、当事者の会が、今では主になっています。

恒富保育所の支援室さんが、地域ごとのサークルを持たれているので、こちらではそこをご紹介させて頂いています。

ここは調理室ではないのですが、パン教室もやっています。そうしているとオーブンを下さる方がいたり、ピアノを下さる方がいたり、活動を進めていくうちにみなさんが寄付して下さいます。

本当は利用したいのに利用出来ない方も、これだったら参加出来る、という場所にできないかなと思って、イベントも増えてきました。どれかに参加出来ればいいかなぁと思っています。

 

 

―当事者の会のような共通項があるほうが、みなさん集まりやすいのでしょうか。

 

小澤:アレルギーの相談が結構あるのですが、私には答えられないので、ずっと作りたいと思っていました。私はドクターではないし、深い部分で個人差があるので。

アレルギーをお持ちの方の話を聞くと、延岡ではなく、県外の病院へ相談に行かれる方も結構多くて、皆さんすごく勉強されています。

アレルギーの子どもを育てられているお母さんで、「子どもがケーキを食べられなかったから」と言って、ご自身で資格を取って、ケーキ屋さんを始められた方がいらっしゃいます。始める前に、「今から始めようと思うから、先生これ食べてみてください」と言って、ケーキを50種類くらい作って来てくれました。「こういう方が、困っている方に寄り添って頂けるのでは?」と思ったんです。

そういうことがきっかけで、活動しています。当事者同士だと共感、確認、そして助け合うんですよ。経験ばっかりを話すのではなくて、一生懸命、情報を提供したり、寄り添って下さったり、こちらが勉強させられます。

『メンタルの会』という心の病気を持っている方々の会もあります。

 

 

―それはお子さんが?

 

小澤:利用されている方ご本人です。そういう相談がすごく多くなってきていたのですが、自分がしてもいいのかどうかと、すごく悩みました。

どうしたらいいか悩んでいる時にある方から、「県内で大会があるので、小澤さんに行って欲しい」と言われて行ってみたんです。すると、会場で色んな動きがあって、不思議な光景でした。「これからグループ討議をします」と言われて、15人くらいのグループになったんです。

それぞれ自己紹介をしていくのですが、当事者の人たちが集まる所だったみたいで、小さい時の傷とかを話されていました。自分の番が回ってきたのですが、何も話すことが出来ないんです。どうしようと思いながら、「私は勧められて勉強に来ました。色々相談を受ける立場なのですが、どう答えていいか分からなくて悩んでいます」と話をしたら、「あなたが一番大変じゃないですか。よく来てくれましたね」と逆に励まされて、涙が出ました。

そんな中、仕事をしていたら、あるお母さんが3年ぶりに訪ねて来られて、「私は心の病気で悩んでいて、県外に受診に行ったり、当事者の会に参加したりしている」、「色々考えたら、これを小澤先生にして欲しいと思った」と言われたんです。2、3日考えて、これはやっぱりすべきだと思って、ドキドキしながら『メンタルの会』を始めました。

そしたら、結構集まられるんですよ。

「『メンタルの会』はまだですか」という声を頂いたら、様子を見てみなさんに連絡をして、大体月に2回くらい不定期で開催しています。

 

 

―そんなにされているのですね。ここでされているのですか?

 

小澤:ここでします。安全基地なので仕事を休んで来られる方や、職場から許可を頂いて参加される方もいます。情報も持たれているので、助け合いがすごいです。

 

 

―守秘義務があるのでしょうか?

 

小澤:はい。この部屋から出たら、もう全然話さないです。

この会を最初に始めるときも職員に言わなくて、いきなり始めたら「何かやっている。上がってはいけない雰囲気だ」と言っていたみたいで、その時間は職員も上がって来ないです。

こんな風にして、当事者の会は色んなきっかけがあって始めています。支援センターをこれまで利用できなかった方が会には参加出来るので、良かったと思っています。

 

 

―お母さんたちだけで集まるのですか?お子さんも一緒に?

 

小澤:2階の会議室でお母さん方が集まって、お子さんは1階ホールで過ごしています。

子育て相談や子育て支援は、専門の方だけじゃなくて色んな支援の仕方があると思っています。例えば、おもちゃのドクターは皆さんが過ごしている所で修理していると、物の大切さが伝わり、虫博士は命の大切さを教えて下さるし、子育て支援に繋がります。

 

 

▲”虫博士”の安本潤一さんから寄贈された標本

 

色んな方達に触れあって子育てを応援してもらうのは、子どもの成長や心の発達に繋がっていくので、必要なことかなと思います。そう思ってやっているけど、いつも何がいいか分からないです。

 

 

―ニーズに対して応えているというのは、伺っていて感じます。

様々な相談があると思うのですが、この相談というのは、「相談させて下さい」と言って来られるのでしょうか?

 

小澤:そうですね。

以前は電話相談も多かったのですが、最近、相談される方はこういうところに出て来られないので、「家に来て下さい」と言う方もいます。

 

 

―そういうのはご本人から来るのでしょうか?

 

小澤:ご家族からもありますが、本人が一番多いですね。お父さんも増えてきたように思います。

ここは支援センターなので利用するために来訪されて、「困りごとをこっそりと言いやすいです」とお聞きします。

「自分の家だと落ち着かないので、部屋が空いていれば、休ませて欲しい」と言う親子もいます。

私達が今、このSOSに答える必要があると感じた事は早急にスタッフで体制を取り動きます。

 

 

―普通の考え方だと、責任を持ちたくないと言って断ってしまうので、すごいと思います。

『相談』は月にどのくらいきますか?

 

▲平成30年度の実績

 

小澤:『相談』は、朝早くから動くので『訪問』が増えて来ています。1日10件とか、毎日訪問に向かうところもあります。

生活リズムが崩れている子が多くて、夜中3時からゲームをする子もいたりするので、学校に行けないお子さんのところには、毎日、声はかけるようにしています。少しでも人との繋がりが出来ればと思い、気長に声かけをしています。

 

 

―お母さんが送り出せない場合もあるんですね。

 

小澤:はい。スタッフに毎朝声かけに行って頂いています。声だけでも親しみが湧いてきて、来なくなったら寂しいと思う子もいる様です。信頼関係を築けたら、お家にあげてくれるお子さんもいます。

スタッフのみなさんは一生懸命やって下さっていて、今朝は家の中に入り一緒に学校や幼稚園の準備をしてくれた方もいました。

『保育サポート』と書いてあるのは、講演会などで託児が必要な時とか、保育園から保育士が1人2人不足している、と声がかかった時にお手伝いに行きます。

おやこの森で『保育サポート』の勉強をされた方が大体100人くらいいます。

また、『紹介』というのは、事業所など、職員が休み等で手助けが必要な場合にここのサポートスタッフを紹介しています。

看護師や助産師、保育士など、子どもが好きでこういう仕事が好きな人が求められますね。

 

 

―『子育てサポート』というのは?

 

小澤:主に寄り添いです。

私が相談を受けて、すぐに対応する必要があるという時にスタッフに出動して頂きます。だから、この家庭支援スタッフの中には、朝の7時ぐらいから夜までずーっと家庭に付き添う方もいます。メンタルが強くないとなかなか出来ることではないのですが、一緒に病院に付き添ったり、連れて行ったりもします。お母さんが薬を大量に摂取して眠ると、小さい赤ちゃんが危険なので、その場合はうちで預かることもあります。

家庭支援スタッフは推薦している方なので数名しかおりませんが、サポートの必要な方や相談が増えています。

 

 

―月約250件もありますね。この方々はプロフェッショナルですね。

 

小澤:そうなんですよ。

延岡は色んな面で、自信を持って予防が出来ていると思います。

市に迷惑をおかけしているかもしれないですけど、伝えておかないと危険だと思っているので毎朝状況を報告するようにしています。そうすると、市も考えて下さるので、早急な対応が出来ると思います。

 

 

―他にもこのような見回りをしている組織はあるのでしょうか?

 

小澤:あります。いろいろな機関の方々が見守って下さっていますし、必要な時は出動します。でも人数もそんなに多くないので大変だと思うんです。私たち予防する側がチームとしてきちっとしておくと、早急に予防出来ると思っています。

余計なことだと言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、自分たちは必要だと思ってやっています。色々やってみているけど、家庭に入ると加減があるので、当事者の気持ちに寄り添うことが必要ですね。本当勉強になります。

 

 

―市民のみなさんは、おやこの森さんがここまで動かれているって知らないのではないでしょうか?

 

小澤:知らなくてもいいかな。

でも行政の方には、予防をしていることは分かって頂けていると信じています。

 

 

一般の方は虐待が起きない社会のために、何をすれば良いでしょうか?

 

小澤:ニュースを見ているとシビアな見方をしてしまうので、優しい気持ちで接して頂くことが一番です。

以前は、夜泣きの電話がすごく多かったです。すると、お母さんたちはこんなに泣いていたら通告されるんじゃないかと近所のことが気になるじゃないですか。両方から電話があったんです。子どもは「こういうものだよ」と、見守って下さる世の中になってくれたらいいなと思います。

色んな意味で子育てしづらくなっていると思うんですけど、「こういうこともあるよね」というような、みんながゆっくり肩を下ろせるような見守りをして、自然な気持ちで寄り添って頂ければ十分です。自分の出来る事をさりげなくして頂ければ、それでいいと思います。

(資料の)一番下の『物資』と書いてありますが、それはお米やミルクなど、寄付して頂いているものです。

 

 

▲寄付があったものの一部

 

『あしながおばさん』という方たちがいらっしゃって、最初は他の機関に連絡しようかなと思われていたそうですが、「おやこの森だったら本当に困っているところに届くのではないか?」と連絡を下さいました。元々は「毎月お金を寄付しますので、困っている方に何か買ってあげて下さい」と言われたんです。でも、「お金は受け取れません」と言ったら、新生児のおむつやミルクを、姿を見せずに玄関に置いて行かれたんです。職員はみんな知らなくて、私しかその方のことを知らないので、本人にも了解をとって『あしながおばさん』と呼ばせて頂いています。自分の姿は見せたくないということで、今は月に一度郵送でミルクが送られてくるので、本当に困っている方にお渡しするようにしています。

 

 

―私は子どもたちの預かりが主な事業だと思っていたんですけど、どっちかというとセイフティーネットとしての役割が大きいことに驚かされました。

 

小澤:元々、拠点事業として、遊び場と子育て相談が主だったのですが、こんな風に変わっていきました。理事長先生とも、「内容が広がってきたね」とよく話します。

 

 

―最後に、何か伝えておきたいことはありますか?

 

小澤:そうですね。

とにかく、みんな、自然に、人に優しい街になってほしいなと思います。

おやこの森は決まり事がないんです。私はスタッフの方たちに、人を大切にして下さいということをお願いしています。子どもを育てる上で、愛情とか愛着が大事だってすごく感じていて、おやこの森はそこを一番根っこにしているところがあります。

だからもし、お母さん方が産後すぐに子どもさんを育てられないということがあったとしても、その子に関わる人が丁寧に接して下さっていれば、人の温かさや大切にして頂いた事はきっと次世代に繋がっていくと信じています。愛を持って、自分の出来ることを可愛い子達のために、何かをしていけたらと思っています。

おやこの森より感謝を込めて。

 

 

▲平成13年3月建立。詩人、坂村真民さんの詩碑。(坂村さんに詳しい方からこの詩について話を聞き、おやこの森の想いそのままの詩だと感銘を受けて建てられた。)

 

―色々お話し頂き、ありがとうございました。

インタビュー:有田、中林 撮影:有田、中林 編集:有田